終わりは始まり

ナイスミドルに出場する選手と接していると、練習するたびに上手くなっている実感があることを話す選手と出会い、50を超えても伸びしろがあると耳にします。また「自分らしい」戦いをしたいということもよく聞きます。そのための心のトレーニングもするようです。

その一方で、引き際を考えている選手もいます。

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「試合に出ても結果に後悔してしまうというか。だったら戦わない方がいいのかな。同じ熱量、同じ練習量でできなければ、それはもう試合にあえて出る必要はないのかな。」

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「引退」を口にする選手もいますが、ナイスミドルに「引退」はないと言います。

試合をしたいと思ったときに出場すればいいわけで、そのときは出場のタイミングではなかったということなのでしょう。

思うように体が動かない。昨日できていたことが今日になってできなくなっている。ケガが快方に向かわない。

40代前半の「若手」でも、そこを頭に描きながら練習している選手もいれば、歳を重ねるほど進化しているという選手もいます。ストイックに求め続けている選手もいます。

自分が決めた地点まで動く人もいれば、納得いくまで続ける人まで千差万別ですが、確実なことは、一時的に休みを取ったとしても、どのタイミングでけじめをつけようとも、思い立ったときから挑戦することはできるということです。

語られるもの

編集、進めています。

だいぶペースアップしてきましたが、それでも進んだり戻ったりの繰り返し。

先日、追加の撮影を行いまして、これはなかなかいい素材を撮らせていただき、印象的なシーンを組むこともできています。

全体の構成はある程度、見通しは立っているものの、実際に細部を詰めて行くと、間にクッションを入れたほうが一息つける、などと、ブロックを増やして、流れを良くしたり。とにかく試行錯誤の日々です。

引き分けは別にして、勝ちか負けが決まる勝負の世界を描いています。

そんな選手たちも、生活しているのは、二元論で語れるほど単純にできた世界ではないですし、映画で語られるものも、勝ち負けだけではないところに漂っている選手たちの想いの部分です。

想いがあり、迷いがあり、葛藤がある。
誰にでもあるものであり、ミドルエイジの選手たちも、等しく持っているもの。

編集を進めていて、改めて皆さんの想いに興味を持ちます。

強さの証明を手に入れたい。
仕事の制約や、老化との駆け引き。
想いと気持ちが比例しない、心の弱さ。

挑むための覚悟。

戦う相手は対戦相手だけではない。

その想いに正直に生きて欲しいと願うと同時に、後押しできればとも思います。人間が生きて行く上で抱える、根源的なところを扱っているでしょうから、響くものも多いだろうと思います。

撮影も編集もまだまだ続きます。

サウンドチェック

サウンドチェックをしました。
本来、音の仕上げは本編完成直前の作業になるのですが、重要なシーンで確認したい箇所があったので、その部分だけザッと編集をして確認しました。

音響担当の中村さんに音の調整をしていただき、映画音響の環境に優れた劇場でプレビューします。編集室のPCで聴くのとは異なって、本来、劇場で耳にする音で確認ができます。。ちょうどいい機会だったので、ザッと色も入れて、発色の感じも確認しました。

このシーンもまだまだ直しが必要なことがわかりましたので、じっくりと直しを進めていきます。

映画の本編全体は、まだまだかなり粗いものの、3時間以内にまとめました。もちろん粗いですから、もっと詰めて行く箇所、追撮の必要な箇所、膨らませる箇所、いろいろとあるので、今後は逆に3時間を超えてしまうことも出てくると思います。まとめる作業はとても決断に迷うものです。

8日にNICEMIDDLE58が開催されますので、PVを制作しました。

そのPVの編集過程の画面録画した映像を公開しました。
https://www.facebook.com/watch/?v=387908133256525

新年度からのカメラ

先月のナイスミドルでは、試合前に撮影に伺ったJ.B.kyonso選手が、見事にライトヘビー級の新チャンピオンに輝きました。おめでとうございます。

撮影時のインタビューでは自信なさげに「プレッシャーかけないで下さい」としきりに口にしていましたが、その試合の勇敢なチャンピオン然とした試合運びに心を打たれました。頼もしいコメントをもらえるだろうと期待しているところに、スコンっと気の抜いた返しをしてくる飄々としたJ.B.kyonso選手はみんなから愛される選手です。今後の防衛戦も楽しみにしていきたいですね。

さてカメラが壊れました。

今回はサブで使用しているものではありますが、重要な役割を果たしているものなので、早々に新たな代替機を見繕いました。私はそこそこの機材を長く使う方なので、修理に出すにもメーカーも対応していない古い型で、新たに買った方がいいという、よくあるケースです。

この映画の撮影期間には何台かカメラを追加して使用するようになったり、メインで使用しているカメラが壊れてしまったりがありました。メインのカメラは本当に古いのですが、ギリギリ補修期間内だったので修理してもらえたという、正に綱渡りとも言える制作の現状だったり。

皆さんのご協力なしには進まない制作ではありますが、機材がご機嫌斜めになっても進まない制作であります。これは映画の醍醐味でもあって、事前に頭で計算して考えておき、でも現場に行けば計算は儚く崩れ去ることの方が多く、とはいえ体力を要しながら撮影した素材を、機械を使いこなしながら、イメージした通りにまとめ上げていくという。そしてそれを理論ではないところで人の心に届けていく。音楽や間、空気、色、リズム、カットの並び等、様々な要素をうまいこと紡いでいくことで良い作品に仕上がっていく。

いろいろやってます。
いまは編集が主ですが、撮影も少しずつ進めています。なのでカメラにはまだまだ重要な役割があります。

撮影クルー

私がナイスミドルと関わるようになったのは、2016年に開催されたナイスミドル32で試合の記録撮影を始めたところからです。試合が開催される度に、試合の撮影と編集を行ってきました。試合を撮影するにつれ、この中年たちの物語を描いていったら面白くなるだろうと、試合以外でも撮るようになりました。

映画を制作するにあたって、試合の映像が必然と必要になりますが、私が撮影しているのは試合の映像。会場の控え室などのバックグラウンドは私ひとりでは撮りきれきれるはずもなく、撮影のご協力をいただいている方たちがいます。

元ミドル級チャンピオンの小川貴弘さんにも試合中の撮影をお願いしたこともあり、たまにカメラを持っていただいています。またフェザー級の加藤巧さんにお願いしたところ、かなりカッコイイ映像を撮ってくださり、それ以来、会場内の撮影をお願いしております。

加藤さんにはカメラを2台託しており、臨機応変に使い分けて撮っていただいています。毎回試合前には、その日のなんとなくの撮影の狙いを伝えますが、撮影後の映像を見ると、私の想像を超えるようなイイ画を目にすることができます。なのでいつも安心して撮影をお任せしています。

会場での録音は中村充さんと大川和朗さん。
中村さんとは私の師匠の映画で一緒に制作したことがあり、今回の映画では音響全般で力になっていただいております。音響に関して中村さんには、様々なアドバイスをいただいており、この会場での音も作品となる頃には、臨場感あふれるサウンドで、会場にいるような感覚で劇場で映画を楽しむことができるようになるでしょう。

他にはカメラを固定でGoProを設置していたり、レフェリー用のアクションカムも設置しています。レフェリーカメラのレフェリーの頭への取り付けのフォローに、高橋澄人選手、クラッシャー荻原選手、助監督などに入っていただいていたりもしています。

試合のバックグラウンド撮影は、ある程度撮れてきているので、今後カメラの台数などは減らしていきますが、まだ撮影は続行しますので、会場での撮影にも是非ご協力くだされば感謝です。よろしくお願いいたします。

熱めのストーリー

今年も年の瀬が押し迫ってまりました。
日々の忙しさの中にあって、己を常に鍛えている方も多いことかと思います。

先日、ナイスミドル56で行われたウェルター級の王座決定戦。チャンピオンに返り咲いたクラッシャー荻原選手へ戦前にインタビューをし、その気合いの入り方には間違いなく勝つという気持ちがみなぎっていました。

試合はバッティングでの流血を招いた両選手。必死にKOを狙うクラッシャー荻原選手と、その攻撃をこらえる打たれ強いAKIRA選手。まあ、とんでもない熱い戦いになりまして、私は試合を撮影していたわけですが、カメラを触れる手に力が入り、映像がブレていたかもしれません。

試合後、撮影スタッフがAKIRA選手からコメントをいただいており、両選手の間に新たな友情が生まれたようでした。

ナイスミドルならではの物語ですね。
そんな熱いストーリーを映画で見たいですよね。

クラッシャー荻原 – Team K.O. Grage 代表
第4代、第6代ナイスミドルウェルター級チャンピオン
「明日やろうは、バカヤロウ」
クラオギTV(YouTube チャンネル)

YouTube をやる理由。
・ナイスミドルを多くの人に広めたい。
・ナイスミドルドキュメンタリー映画の宣伝をしたい。
・強い選手と戦うため、モチベーションを上げるため。
・所属ジム・プロ選手・練習仲間のトッププロキックボクサーを紹介・宣伝したい。

復活です

今月は21日にナイスミドル56が開催されます。

ナイスミドル48で予定されていた王座決定戦とタイトルマッチが1年半ぶりに行われます。
通常の19の試合での開催が決まり、いよいよあの盛り上がりが戻ってくるな、という感じです。

楽しみなカードも多く組まれ、選手たちも一層気合が入って練習に打ち込んでいることと思います。映画の方は鋭意、編集に努めておりますが、気合の入った光景を描くべく、今回はカメラを回すシーンがあります。

編集を進めれば進めるほど、追撮が必要な箇所が出てきますが、これは当初から予定していたことなので、ガンガン追加撮影を進めていくことによって、一歩づつ完成に近づいているイメージです。

年の瀬も押し迫りつつありますが、歩みは止めずに前進していきます。

エネルギーの集合体

「映画が完成しました」というまでにはまだ程遠く、かといって、経過をお知らせできるような質のものでもないという、完全なジレンマにも陥るのが映画の特性とも言えるかもしれません。

とはいえ完成までの間には「何かしらやっていますよ!」とお伝えするのも大切ではあります。

もちろん水面下で様々なことを進めております。「そんなことやっていたの?」と思っていただけるような、いろいろを試行錯誤の末にやっています。

それも具体的にお伝えできないのも作り手としても歯がゆいところ。制作者以外からの手助けもいただいており、みんなで作り上げる作品にも成長しています。それぞれに力をいただいて、様々な要素が絡み合うようになってきています。

それは正しいことなのかもわからずやっていることもあります。試さないとわからないことでもありますから、まさに下駄を履くまでわからないです。

自分としては面白いと思ってやっていますから、
それは期待して楽しみにしていていただきたいです。

編集中

編集を進めています。

撮影はまだ足りていませんが、編集を進めていくうちに必要となるシーンが出てくるので、必要なシーンが出てきたら都度、撮影します。

いろんな要素を織り交ぜながら進めているので、編集を進めていかないと見えないことの方が多いです。

オープニングはイメージシーンで、早い段階で撮影してありました。
話の展開の最初の重要な場面なので、しばらくは温めておきます。

逆にフィナーレのシーンは、ほぼできています。
あとは音楽が決まれば、細部を詰めることができます。
ここはいずれにしても、撮り直し箇所があります。

全体のタイムラインは、ストーリーのベースとなるシーンを、なんとなく並べることができています。

他にも全体の軸からは離れた、枝葉の部分もまとめられているシーンがあります。インタビューの文字起こしは、出来ていないものもまだ少しあります。

と、まあ、簡単に説明しましたが、何が何やらさっぱり伝わらないことと思います。要するに、制作は進んでいますよ、ということです。

私にとって編集は謎かけのパズルゲームのようなものなので、楽しんで取り組んでいます。と同時に頭を悩ませることも多く、迷路にハマって抜けられなくこともあり、そんなときは、しばらく手放してみたりもします。

客観性も必要なので、人から意見をもらいながら、できるだけ主観を捨てるようにしています。まだまだ時間はかかりますが、楽しみにしていて下さい。

運を生み出す

先日のナイスミドル54でタイトルマッチがあった。
タイトルマッチの後、勝者が別階級のチャンピオンに、観客を前に対戦を申し入れていた。選手同士で対戦を決めてしまうナイスミドルならではの風物詩であろうか。

ときには思いもよらずに決まる対戦もあったりして、選手をよく知るファンにとっての醍醐味だ。思いもよらないという意味では、選手目線では心が追いつかない瞬間もあるかもしれない。自分が絡まなかったことで落胆することもありうる。ただそこには流れや伏線は必ずあって、それまでに積み重ねてきたものが複雑に絡み合って、たどり着いているものである。

「運がいいよね」

対戦が決まることにしても試合そのものにしても、運というのはあるでしょう。タイミングや周りの盛り上がり方も影響してくると思います。

運が良くて希望した対戦が決まる、運が良くて試合に勝つ。見た目にはそういうこともある。ただおそらく選手本人にしてみれば、運を裏付けるための振る舞いや行動、練習など、あらゆる努力はしているわけで、ただ単にタナボタなわけではない。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

自分の想いを形にするための覚悟や決断、そういうものがベースにあっての運。いくら努力しても結果に結びつかないのは、不思議を解明していないから。運命を受け入れる能力も運であり、そこにたどり着いたということは、それは実力とも言える。ただの偶然ではなく、自分を磨き続けてきた日々の努力の賜物。

そして運を引き寄せるのに本当に大切なのは、周りの人たちの支え。自己中心の想いは、儚く消えやすいもの。

必然の運を、必然に撮って、必然に作品にする。

想いを現実にすることは、不思議でもたまたまでもなく、やり続けてきた事の答えである。