【フェザー級 第2代王者・生活習慣病根絶を目論む男】
僕が米子へ向かったのは、撮影のためであることと同時に、何かを得られるだろうという期待を込めての、見知らぬ土地への旅でもあった。車窓から流れる景色は、都市の輪郭がほどけ、山の遠近とともに空が広くなる。これが山陰というところなのだろう。
3日間滞在した米子では、米子市内の城跡からクリニック、そして海岸から大山のドクターお気に入りの場所へ。滞在中の僕のために、ドクターは惜しみなく時間を割いてくれた。オープンカーの助手席に揺られ、風を切りながら大山の麓まで走る。リング上で「蝶」のように舞う美しいキックと同じく、その洗練された所作は、ハンドルを握る姿も鮮やかにフレームを彩っていく。
白衣を脱ぎ、リングに上がる。どちらの場所でも、同じ目で物事を見ていた。決して派手な振る舞いをする人ではない。しかし、ふとした瞬間に漏れる言葉には、確固たる信念が宿っている。静かな佇まいの鋭い瞳の奥に、これまで積み上げてきた「真理」が見えた気がした。
インタビューは、あえて対照的な2つのシチュエーションで行った。
ひとつはクリニックで、もうひとつは波の音を背負いながら。僕はあえて、答えの出ないような漠然とした問いを投げてみた。
映画の軸になるものを常に意識して撮影をしていたので、いかにそこに近づけることができるかが、インタビューのキモでもあった。ただドクターは答えを誘導するまでもなく、おそらくその狙いを感じて言葉を選ぶ人ではないかと、そんなイメージをしていた。ひとりの人間への問いであって、ドクターの深みに潜っていくような、そんな感覚で。
ドクターが人として大切にしていること。その哲学が、リラックスした自然体のまま言葉に溶け出していく。長い時間をかけてドクターの中に積み上がってきたものたちが、深層意識の中からスッと出てきたような感触だった。ドクターがふと口にしたある一言が、僕の頭から離れなかった。それは深いのに、潔いほどにシンプルだった。その言葉は映画の中に刻まれています。
ドクターはその装いからもわかる通り、熱烈なイタリア好きだ。「いつかカフェをやりたい」という夢を語ることもある。イタリアの街を流れる空気、生きることへの情熱、そして物事を進める独自のスピード感。それらは驚くほど、ドクターの本質と共鳴しているように見えた。
ドキュメンタリーを撮る上で最も贅沢な瞬間は、撮影や作品を超えたところの、被写体との想いの交差を感じられるときではないか。この日に記録されたものが、きっとこの映画の背骨のひとつになったことでしょう。
物事の本質を静かに見つめ続けているドクター。そういう人の言葉を記録させてもらえたことは、彼と出会うことのできた奇跡が生んだものでもある。そんな奇跡から生まれる映画。どのような熱を帯びて皆さんに届くのか、僕も楽しみです。










