ときには自然の中へ

先日、地方へ撮影に出向きました。

首都圏の都市を中心に活動しているナイスミドルの選手たちですから、撮影素材の風景にしても同じようなものが多くなってしまい、ダイナミックなスケール感に乏しくなってしまいます。

今回は自然の中で躍動している景色をなるべく撮ることで、一瞬の休息のような感じを出せるシーンとなることと思います。

天候は安定しない地域でしたが、陽は少ないものの、比較的きらびやかな画を多く撮れた気がします。

撮影は3日間、時間にしてほぼまる1日。選手にはハンドルを手に、付き添っていただきました。

撮りたいと思った人を撮る。
その直感は案外ハズレることはなく、想定を越えた答えを得られることの方が多い。

想いを寄せる故郷に帰って、それまで携えてきたものを返そうとする姿勢。自然体でしなやかさがありながら、何かに流されるでもなく、本来あるべき姿を追求していく様は、医師でありながら修行僧のようにも思えた。道場での稽古も基本に忠実に、子供たちと共に型を繰り返し身に付ける。

人を受け入れる器の大きさがありながら、ブレることのない強さも兼ね備えている。

本当に道を極めようとしている精神性を垣間見られたのは、映画作りに奔走することのためと言うよりも、人として生きていく上でのお手本となる生き方を見させてもらえたと言う意味でも、遠方まで来る価値は存分にあった。齢にしてさほど変わらない中で、心に響く経験ができたことは、生き方にも映画にも反映させていけるようにしたいところです。

永遠なるものへの歩み寄り

緊急事態のはずが緊急事態にも思えない日々が、ただただ過ぎて行きますが、プロジェクトは地味に前進しております。

今月下旬に私の師匠の映画が公開されます。
私は助監督として制作に参加していますので、是非ご鑑賞ください。

さてこの映画ですが、主にベートーヴェンの『交響曲第九番』に関して描いているドキュメンタリーです。『第九』といえば、年末の天ぷらそばの替え歌の印象なわけで、ベートーヴェンといえば、私の親の田舎のジイさんが入れ歯を外して「ジャジャジャジャーン」とおどけるのを思い出す程度の認識でした。

ベートーヴェンは54歳で『第九』を完成させ、56歳で亡くなる。作曲者のベートーヴェン本人よりも『第九』のことを長いこと知っているのに、その曲の本当の良さをよく知りませんでした。過去の古い聴き慣れない音楽という認識。しかし決して聴き慣れないわけではなく、意識するまでもなく誰もの脳裏に焼きついている曲であったりする。

知っているのが不思議なようでいて、うわべの部分をすくうようには頭にある。
今回、この映画の制作に参加して、ベートーヴェンが『第九』にどれだけの想いを持ち、楽曲には深さがあるか、よく知ることができた。その背景や、音楽を再現する人たちに触れることで、心だけでなく体で感動することにもつながった。

これらのことを考えていると、実は自分が目指しているところと同じようにも思えてきたのです。
私の師のこの映画シリーズに一貫していることは、これからの世の中にも通じるテーマで、完成したその時だけでなく、いつの時代に鑑賞しても感動できる、人の心に響く作品であるということ。それは言ってみればクラシック音楽と共通で、古い作品ではあるけれど、いつの時代の人の心にも届いている、そんな作品。

それはいわばホンモノと言えるモノ。

良さに触れることで伝わる作品。
長く人々に愛されるような作品。

すぐに過ぎ去ってしまったり、いまの時代だけ、目の前にいる人にだけ愛されるのではなく、何度でも触れたくなるような、普遍的に深く人々の心に届くもの。

そして何より多くの人に喜んでもらえる。
そのための映画制作であるということ。

私は映画『NICEMIDDLE!』でそれができるということを頭に、制作を続けております。

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ドキュメンタリー映画『地球交響曲第九番』
http://gaiasymphony.com/no9/

春からの再生

温かく心地よい季節がやってきました。ここから様々なことでスタートを切る方も多いことと思います。ナイスミドルの映画制作も、ここを境に更にペースアップしていく所存です。

今日は某選手出場の全国大会で撮影させていただきました。と言っても格闘技の大会ではありませんでした。

これまでこのプロジェクトでの撮影回数は180回以上、インタビュー撮影は90回以上を行なっており、インタビューの文字起こしもほぼ済ませており、編集も徐々に進めております。

ご出演いただく予定の選手の皆さんは、世間的に知られていない方々が多く、監督自身も存じあげない方々ばかりでしたので、撮影開始当初、まずは選手を知ることから始めました。

経歴や参加動機だけでも興味深い方はいらっしゃいますが、作品を紡いでいく中で大切したいのは、彼らがどういった想いを持った人で、どういった方向へ進もうとしているのかということです。一度や二度、お会いして話しただけでは知りえない選手の素の部分や、日頃抱いている想いなどを察知し、撮影していく中でそれらをできるだけ引き出せればと考えております。なるべく時間をかけて、各々の深いところを作品につなげていけるよう、その人らしさを撮らせていただこうとしております。

饒舌で表現力がある必要はなく、温度を感じられることが肝心です。イイところがあるだろう人でも、イイところはすぐに出てこない、という方のほうが多いと思います。映画は作品ですから、たくさんの人々の大切な想いを残していけるよう、あらゆる作戦を用いて、皆さんのイイものを監督のフィルターの中に収めていこうとしています。

最近になってようやく選手のことが見え始めてきた気がします。そうしたらここからが本当の仕切り直しです。試行錯誤しながらも、まだまだ撮りまくっていきます。