映像のスタイル

今月も注目のカードが決定したナイスミドルが開催されます。どんな試合が繰り広げられるだろうかと楽しみにしている一方で、自分的にはもう少し頑張らないとな日々が続いております。

映画の方は編集を詰めていく段階まで入ってきてまして、大枠から細部まで見直しながら、面白い作品に仕上がるよう、目先を変えて作品と対峙しています。孤独な作業の繰り返しなので、だいぶ煮詰まっていて、気分転換をしながら路頭に迷ったりもしています。

昨年、自分のショートムービーのこじんまりとした上映会がありました。初上映作を含む、新旧が織り混ざった9作品の上映で、ナイスミドル関連のものも上映しました。

20年くらい前に撮った低画質がものが多く、それらの作品の評判が良かったのが意外でした。
複数の方から、作品の雰囲気がノンフィクション作家の沢木耕太郎さんのような印象を受けたという感想をいただきました。これはおそらく旅をしながら撮ったものが多かったからでないかと推察しました。

それとは対照的にナイスミドル関連の映像に対しては、他人の企画で撮らされることになった作品ではないか、と言われもしました。確かに自分の過去作とは、映像の雰囲気やスタイルが異なるので、もしかすると別の人が撮っているくらいな印象を受けられたかもしれません。ナイスミドルについては、自分的にはドキュメンタリーを撮る上で最もやりたいと考えていた制作スタイルで撮れているので、また違った感覚を楽しんでもらえたらという感じでいます。

最近、まったく別の案件で撮って出しのような簡単な編集をしました。こういうのは久々だったので、少し編集に対する目線を変えることができました。

長編だと様々な物語を織り込んで語ることができますが、短編だとダブつかないようにスリムに要点をまとめることに尽力するわけで、その感覚を思い出しました。自分の場合は、やりすぎくらいに端折ってしまうこともあります。ナイスミドルは扱っている素材のことを考えると、頭を短編的な編集ですすめるようにする必要がある箇所も多く存在することを想いました。緩急の急みたいな部分のことかもしれません。

自分の過去作品は短編でも長編のような雰囲気があった気もするし、それは素材のせいのようにも思う部分もあります。大量の素材の囲まれているナイスミドルの編集は、長編の雰囲気も短編の雰囲気もうまく取り込んでいけるような形ですすめているのかもしれません。

いずれにしても最終コーナーの編集作業は急ピッチで進めています。

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